20年前の今日、午前5時46分52秒、阪神淡路地区の多くの人々は夢の中それは突然襲いかかりました。それは予告も、前触れも、何もなく、ちょっとした地球のずれで、マグミチュード7.3というとてつもない地震を引き起こし、多くの人々が一瞬の危機に対する判断行動をする事も許されず、何も出来ないまま犠牲になってしまいました。
- 死者 6434名
- 負傷者 43792名
- 行方不明者 3名
この大震災により亡くなられた方々に、ご冥福をお祈り申し上げるとともに、哀悼の意を表します。
私は当時既に独立開業しており、震災後は復興のお手伝いを少しだけさせていただきました。普段は当社から被災地(兵庫県三宮近辺)までは1時間程で行けるのですが、ご存知の通り高速道路は崩壊してしまい、車が通れるところはほぼ渋滞で、約半年間ですが、毎日往復約8時間かけて被災地入りしていました。現地では崩壊した住宅を撤去し、新しい家を建てさせて頂くお仕事でしたが、その時のお客様は震災によりご子息を亡くされておられ、打ち合わせ時や現場でのお客様の前では、気の利いたお話の一つもする事が出来ず、淡々と仕事をこなすのが何故か辛く感じてしまい、そんな負のオーラを出している僕を察してか、逆にいつも笑顔で僕に話しかけてくださったのを覚えてます。又当時現場では、必要な物もなかなか入手出来ず、ちょっとコーナンまで買物に、なんて当然無理でした。段取りにミスなどあったら、もうその日は終わり。そんな状況の中、ある時ちょっとした材料が足らなくて困って現場の前で職人と話をしていると、隣で工事していた工務店の社長さんが、 うちの使い!今助けあわなどうすんの?遠慮したらあかん!って言ってくだって、もう、それはそれは、大変お世話になったのです。
一番辛い思いをしている人に優しくされ、自分が段取りが悪いからなのに笑顔で助けられ、その他もいろいろ助けてもらってばかりの現場でしたが、不謹慎であるかもしれないですが、僕はこの現場で間違いなく成長する事ができました。これが日本なんですよね、”助け合いの心” ”思いやりの心” ”人のために何かをする心” これらが戦後も、この震災後も、又、現在復興中の東北地方も、全部再生復活する事のできる日本の原点なんではないでしょうか。そんな、あらゆる被災から必ず復活する日本を見て世界中の人が驚くそうです。僕は、本当に日本に生まれてよかったと思っています。日本に未来がないなんて言う人も沢山いるみたいですが、僕は日本には、すばらしい未来しかないと思っています。生かされている僕は、そんな、いい未来をつくる為のお手伝いが出来る人間でありたいと思っています。